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余剰の時間の重要性

最近本当に忙しい日々が続いている
研究して、単位もとって、バイトして、部活に行って・・・
他人からすれば充実しているのかもしれない。
部活ではいろいろな人がいて、しかもみんな個性的だからいろんな刺激がある。
バイトでも将来役に立ちそうなことをたくさん吸収できている。
研究もやればやるほど楽しくなりそう。
まあ単位をとるのはめんどくさいだけだけど・・・。


でも俺はこんな中でいったいどれほどの時間を持っているのだろう。
時間というのは自分の時間だ。
本当は好きなプログラムの勉強や数学、物理の勉強をもっとたくさんしたい。
以前は待っていたProcessingというヴィジュアルプログラミング言語の勉強がしたい。
GaucheというLisp系の言語の勉強もしたい。
日経ソフトウェアに書いてあることはすべてしてみたいし、Linuxの勉強もしたい。


でも、今の俺には趣味をやる時間がない。土日さえバイトに奪われている。
でもしたい勉強はたくさんある。卒業までつくりたいおもしろツールとかゲームとか本当はたくさんある。
あと1年ほしい。いやあと2年ほしい。


自由な時間が何十年分もほしい。


精神と時の部屋があったら、48時間限界まで使うのに!(たしかそんな設定だったよな?)
時間がほしい、ここには書かないけどもっとたくさんの時間があれば俺は!



自分を自分する時間が僕はほしい。



今自分に必要なもの:余剰な時間。あとどれかを捨てる覚悟。